精神感応、ふつうは日本語でもテレバシーともいいますね。
小林さんの「信ずることと知ること」には、このことについてが主題 と言っていいぐらい、精神感応の話が出てきます。
このまえ、この「信ずることと知ること」の元となった講演のCDを 「信ずることと考えること」を聞いて、ずいぶん考えたことがあるので、 少し書いておきます。
しかし、文章にした方の「信ずることと知ること」を主に扱いたいと思います。 やっぱり、小林さんは文章ですからね。
「信ずることと知ること」の始め、戦争で夫が亡くなるときの夢の話が出てきます。それで、この話を話している人は非常にまじめな方なので私はそのことを信じるが、しかし、この手の話はたくさんあって当たるものと全く外れるものがある。どうして、当たるものだけを取り上げないといけないか?と言った医者の話が出てきます。
そこに、若い娘さんがいて、先生の話は論理的には正しいけれど、 私にはどうしても間違ってると思います。と言ったという、 居合わせたベルグソンは、その娘さんが正しいと思ったと言います。
ここから始まります。科学的経験主義は、計量の出来ないような 経験を無視します。という風に展開していきます。 このあたりの話では、ずいぶん小林さんが科学的経験主義の限界というものを 考え抜いていたかというのがよくわかる話です。
ところで、この文章で強調したいのは、精神感応があるかどうかと言うより その様なものを扱うときの科学的経験主義の限界が問題である、と言うことを強調しているのだと私は思っています。
私なりの考えでは、つまり、極端に言えば精神感応などはどうでもいい。そんなものは女の勘とでも呼べばいいものであって、それで何でもかんでも説明しようというのは、また、科学的経験主義と同じように間違っていると思います。
小林さんは、つぎに、民俗学者の柳田国男さんの幼いときの話をします。
それは、柳田さんが、ほこらに奉ってあった、 おばあさんの蝋石を見たときの話です。
幼い頃の柳田さんは病弱で、学校にも行かず、本がたくさんあった近くの家の倉に通って本ばかり読んでいた。いろんな事を知っていたようです。
そんな、あるとき、柳田さんはほこらを開けそこに奉ってあった蝋石を見た。 このとき柳田さんは14歳だった。14歳と言ってもその当時は多分数えだろうから今でいうと12,3歳でしょう。少し長いですが、引用します。
『実に美しい珠を見た。
とその時、不思議な、実に奇妙な感じにおそわれたというのです。
そこにしゃがんでしまって、ふっと空を見上げた。
実に良く晴れた春の空で真っ青な空に数十の星がきらめくのが見えたという。
(中略)
昼間星が見える筈(はず)がないと考えたし、
今頃見える星は自分らの知った星ではのだから、
別に探し回る必要もないとさえ考えた。
けれども、その奇妙な興奮はどうしてもとれない。
その時鵯(ひよどり)が高空で、ぴぃっと鳴いた。
その鵯の声を聞いた時に、はっと我に帰った。
そこで柳田さんはこう言っているのです。
もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂していただろうと思う、と。』
(改行、ふりがなは私、筆者)
小林さんは、講演の時の話でも大変に感動したと強調しています。 柳田さんの学問を支えたのこの感受性であろうと。 その強調ぶりで、私は改めてこの辺りのことを思い出して考えさせられたのです。
このあと、この手の話は別に珍しいことではない、と柳田さんは続けているとあります。このような精神感応の 事例は別に珍しいことではない。将に正夢を見るがごとくです。
さて、柳田さんはおばあさんの魂を確かに見たのであるが、 ぴぃっとヒヨドリが鳴いたから元に戻ったという柳田さんの感受性が学問を支えた。と小林さんと同じように私も考えます。決して、ヒヨドリと精神感応して 現実に戻って来たと言うことはないでしょう。
もちろん、魂を見たということの経験をしっかりと確信し続けたからこそ柳田さんの学問があったというのは 小林さんも強調しています。そこは、科学的経験主義だけでは いけないことを強調したいために強調しすぎるくらいと思いますが、 この両方がないといけない、と私は思いますね。
ところで、この「信ずることと知ること」言葉は比較的平易なのですが、 ずいぶん難解な文章です。このあと、「山の生活」から「遠野物語」 へと続いていき、ふたたび、柳田さんの特異な経験が語られることになるのですが ここでは、話をわかりやすくするために、小林さんが柳田さんの 「遠野物語」(六一)を引用してるのですが、わたしもそこを 少し詳しく話して、上記、不思議な経験をしたのは確かに経験したのであると言う態度と、それでも、我々は常識的な現実社会の中で生きていると言う その両面が大事だという態度を強調したいと思います。
その前に、講演の方で、小林さんが、本居宣長の神様の話を少ししてたのを 思い出したので、それをさせてもらいましょう。((下)につづく)
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