ベルクソンの「物質と記憶」を中心に、心脳問題について、過去にmixiで書いた文章を推敲し直して載せています。

テキストは、アンリ・ベルクソンの「物質と記憶」第2刷(ちくま文芸文庫版、合田 正人、松本 力訳)を使っています。『ベルクソン「物質と記憶」メモ』と記事のタイトルにあるものの引用文のページと行はこのテキストのものです。


2010年1月7日木曜日

精神感応の話(下) (mixi:2009年04月02日)

本居宣長の神様の話からでしたね。

小林秀雄さんの講演などから知ったのですが、本居宣長という人は大変な研究者でいろんな事を勉強して知っていたそうです。

その小林さんの講演では、本居宣長が日本の神様について言ったことは、ごく単純です。むかしは、それぞれの人が、たとえば自分の子供を健やかに育てて下さいとおねがいして それを聞き遂げてくれるような神様だけをそれぞれに信じていたそうです。

つまり、アナキン・スカイウォーカーをダースベーダーに堕としてしまうようなそんな神様は神様と認めてなかった(笑い)

そういう、それぞれの体験に於いて健全であると認めた神様だけをそれぞれのやり方で信じていたというのが、日本の神様への信仰の原型だというのです。

さて、柳田国男さんの「遠野物語」(六一)をここで紹介しておきましょう。私が簡単に現代語風に訳してして紹介しますが、名文なので機会が有れば是非原文で読んで下さい。

『ある狩人が白い鹿と逢った。白鹿は神なりという言い伝えがあり もし、傷つけて殺すことが出来なければ必ず祟りがあるだろうと恐れたが、名誉を重んじる狩人でもあったため世間から何を言われるかということも恐れ、思い切って白い鹿めがけて鉄砲を撃った。 ところが、手応えはあるけれど白い鹿は動かない。このとき大変に胸騒ぎがして、日頃魔除けとして身につけておいた黄金の弾に(魔除けの効果があると言われる)よもぎを巻き付けて撃った。鹿はなお動かない。あまりに怪しく思い近寄って見ると、良く鹿の形に似た白い石であった。

何十年も山の中に暮らしている者が、まさか石と鹿を見誤るはずもなく、全く魔障(魔障:仏教用語で悪魔のようなモノ)のしわだざと、この時ばかりはもう猟を止めようかと思った。』
(改行は私、筆者。以下の引用文も同様))

さて、この文に対する小林さんの言葉を少し引用しましょう。

『少し注意して、猟人の語ることを聞くなら、
伝説に知性の不足しか見ないような眼が、
いかに洞(うつ)ろなものかは、すぐ解るだろう。
この伝説に登場する猟人は、白鹿は神なりという伝説を、
まことか嘘かと、誰の力も借りず、己の行為によって
吟味しているではないか。そして遂に彼は
「全く魔障の仕業なりけり」と確かめる。
「猟を止めばや」と思うほどの、非常な衝撃のうちに確かめる。
(中略)だが、彼は猟を止めない。日常生活の合理性は、
自分の宗教的経験に一向に抵触する所がないという、
当たり前な理由によると見て少しも差支えないでしょう』

で、これから先少々難しい話が出てくるのですが、ようするに、

『遠野の伝説劇に登場するこの人物が柳田さんの心を捕らえたのは、
その生活の中心部が、万人のごとく考えず、全く自分流に信じ、
信じたところに責任を持つと言うところにあった、その事だった
と言ってもいいことになりましょう』

という言葉に収束すると思います。

つまり、彼の個性と感性が、白鹿の神との遭遇に於いて 理性をめいっぱいに働かせ、自分の責任に於いてこれを確かめ 「まったく魔障の仕業なり」と「猟を止めばや」と思うような 衝撃を受けながらも、あいかわらず山の中での日常生活を続けていく。

これは、全く柳田さんが幼い頃の体験と同じくわれわれは、不思議と隣り合わせに暮らしながら、我々の知性と感性を持ってこれを確かめ日常の生活を続けていく。その様なことが健全であると言わずに何というのでしょうか。

このあと、小林さんの話は、以前にも紹介した柳田さんの「妖怪談義」の話をして終わりにしています。

あなたはやはり、オバケのことを考えたときに未だに「にやり」としますか?その「にやり」はどこから来るのでしょうね。やはり「にやり」と笑わせなければ、オバケと言えないのでしょうね(笑い)

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