ベルクソンの「物質と記憶」を中心に、心脳問題について、過去にmixiで書いた文章を推敲し直して載せています。

テキストは、アンリ・ベルクソンの「物質と記憶」第2刷(ちくま文芸文庫版、合田 正人、松本 力訳)を使っています。『ベルクソン「物質と記憶」メモ』と記事のタイトルにあるものの引用文のページと行はこのテキストのものです。


2010年1月9日土曜日

ベルグソン 「物質と記憶」メモ その2 唯心論の検証 (mixi:2009年06月19日)



ベルグソン 「物質と時間」メモ その2 唯心論の検証
2009年06月19日

今年の3月26日にメモ1と補足概論を書いてからずいぶん時間がたってしまった。 ようやく、少しずつではあるが、本文を詳しく理解できるようになってきたのでここまでの進捗のメモを残す。

今回の内容は唯心論の検証になる。

ページと行を表すことがあるが、これは、ちくま学芸文庫 ベルクソン「物質と記憶」を第2刷を元テキストとしている。

まず、言葉の定義から。

 1.イマージュ
  8ページ4行目、「ここでイマージュというのは、私が感覚を開けば知覚され、閉じれば知覚されなくなるような、最も漠然とした意味でのイマージュである。」
  とある。物質を知覚して得られるイメージぐらいの適当で漠然とした感じ、である
 (筆者注:2010年1月9日現在では、ベルクソンのイマージュとは現実にはあるのに我々が認識するときには、何らかの写像しか受け取ることのできないものであり、これは、プラトンのイデアがどこかには本当の姿があり、正義などの抽象概念は、洞窟の陰のように、現実に投影されているというのと対照をなす、かなり重要な概念ではないかという考え方をしてる)

 2.物質、知覚
  15ページ10ー12行目、「私はイマージュの総体を物質と呼ぶが、これら同じイマージュが、ある特定のイマージュ、すなわち私の身体の可能的作用と関係づけられた場合には、それらを物質についての知覚と呼ぶ」

 3.表象
  15ページ13行目から、「表象」という節が始まるが、特に言葉の定義があるわけではなく、一般的に表象するという意味で使われている。
  [例]12ページ13行目、「したがって、ほかの諸物体を動かすべく定められた物体たる私の身体は、作用の中心であり、それが表象を生じさせることはありないだろう」

さて、独断によって、まず、ベルクソンの言う意識的知覚(p.30辺り)について考察する。

まず、どうして、「意識的知覚」が生じるのかについて、こう述べてある。

「実在的作用の中心(centres d'action réelle)を想像してみよう。これらの中心各々の周辺には、当該中心の位置に従い、その位置と共に変化する諸イマージュが並べられねばならないと私は思う。それゆえ、意識的知覚は生じなければならず、加えて、いかにしてこの知覚が生じるのかも理解可能であると私は思う。」

このベルクソンの「意識的知覚」についての、この後の記述は要約するこうなるだろう。

下等動物であるならば、刺激に反応することはすなわち行動になる。 しかしながら、高等な動物においては、その知覚において曖昧さが介入することはさけられない。例えば、目で見ると言うことは、見ている存在からその対象までに 距離があり、そこには、例えば円錐を二等辺三角形と間違えるような錯覚も生じ得るだろう。

ということは、例えば、ものを見るということにおいては、それが何かということを明らかにするために我々は意識してみなくてはならない。

これが要約であるが、おもしろいことにベルクソンは、より深く考察するために、「純粋知覚(perception pure)」というものを提唱している。(34ページ7行目)

ふつうの知覚というのは、記憶による情報が混入するし、また、どんな知覚であろうと、それが物理的な反応である限り、現実の知覚には一定の時間が必要となる。しかし、知覚というものをもっと良く考察するために、まず、記憶による情報の混入がなく、また、知覚が発生するための反応時間もない「純粋知覚」というものを考えよう、というのである。

そうすると、このとき、イマージュというのは単に物質界だけを考えればいいだろう。そして、物質は、我々の知覚(ここでは知覚は純粋知覚)なくしても存在しうるだろう。純粋知覚には、記憶というものも反応時間もないから、われわれが、何かを知覚するには物質がすでに存在していると言うことが大前提となるからである。

このとき、我々が物質から受け取る表象というものは、イマージュを何らかの形で制限してえられるものであって、唯心論的に我々の中から展開していくものではあり得ないだろう。

言い換えれば、純粋知覚は我々がイマージュを受け取るときの「フィルター」として知覚を受け取るものであり、つまりそれが表象となるのである。

ここで、意識的知覚に戻ろう。純粋知覚というものを、脳の物理的な反応と置き換える。そうすると、意識的知覚というものはベルクソンによるとこのような記述になる。(44ページ9行目ー12行目)
「(前段略)意識的知覚と脳の変化は厳密に対応している。それゆえ、これら二つの項の相互依存は単に、それらがいずれもある第三項の関数であることに起因しているのだが、この第三項とは、意欲の不確定性なのである。」

この意欲の不確定性については、少しだけ考察すると次のようになる。まず、31ページ10ー11行目に次のような記述があるという事を示す。

「知覚は行動が時間を自由にするのとちょうど同じだけ空間を自由にするのだ。」

上の言葉に少しだけ解説を付け加えておくと、行動範囲が時間と速度のかけ算で表されるのを象徴し、知覚はこの場合純粋知覚であるから光や音などのある時間で及ぶ範囲を知覚できるのでその分、我々は空間を関知できるということである。

そして意欲の不確定性とは、行動と知覚がの空間と時間を自由にした分、どうするかについての選択肢が増え、また知覚が曖昧であるだけに、どうしようかとする我々の意欲も不確定であるということである。

さて、「物質と記憶」では意識的知覚について長いページを割かれて考察されている。59ページの途中まではほぼ同じようなことを詳細に検証している。

しかし以上のようにベルグソンの言う「純粋知覚」を仮定することにより、唯心論的考えもほぼ否定されたと言っていいだろう。


あ、そうか、体系的にということですね。(mixi:2009年04月24日)

(筆者注:このころmixiの日記でたくさんのこと考えていたので、その辺のことを少し体系的にまとめてみようとした日記の内容を推敲してみたものです)

【1.唯物論の否定と魂の存在の傍証】

1ー1. 唯物論の否定

まず、初めは、唯物論の否定と、魂の存在の傍証ということになりますか。

唯物論の否定は、科学が再現性を重んじて数学で法則を書くことと、数学が不完全であるというゲーデルの不完全性定理をから導き出せますよね。
(資料:http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲーデルの不完全性定理)

もうすこし詳しく言うと、自己言及パラドックスが自然数を含む公理系で成立すると言うことは、その公理系自体が正しいかどうかを自身の公理系では証明できない。

そのような公理系を使って再現性を証明するのが科学である限りは、論理的に矛盾することを平気で受け入れる我々の言語とか魂とか言うことを説明できない、言い方を変えると、ゲーデルの不完全性定理が矛盾と言うことを理解できるわれわれの精神は、なにか、整数論の矛盾を理解できる体系で表現されている、というのは自明でしょう。

もう少し、わかりやすく言った方が良いのかな。

つまり、科学が自己矛盾が指摘されている整数論を内包する数学で書かれているならば、その矛盾自体は、その数学では指摘できない。しかし、われわれの精神はその矛盾を指摘し、かつ、理解できるのであるから、明らかに違う体系で記述されているだろう。と言うことは、科学ではわれわれの精神は説明できない。と言うことになる。

(筆者注:この文章を推敲中の現在(2010年1月9日)P=NP?問題を勉強しているが、P=NP?問題は、非常にわかりやすく言うと、物事を逐次的に処理していく現在の方式のコンピューターに、意味があるかどうか分からない適当な文章らしき一連の音や文字を与えたとして、それがある程度人間にも耐えられる一定時間内に意味があるかどうか判定できるかという問題を扱う。文章の意味が矛盾しているかどうかは問われない(カバは植物である。と言う文章はわれわれの常識では間違っているけど、文章は理解できるでしょ?))


1‐2. 魂の存在の傍証

この辺の話は、「日本における死後のお話」がそのまとめに相当するでしょう。

要約すると、お釈迦様と孔子様の生きることの延長に死(もしくははっきりとは言わないが死後の世界がある)があるとおっしゃっている、ということでしょうか。そこから、仏教の輪廻転生の話に入って、悟ると輪廻転生からはずれるが仏様になると衆生を救うために なんども生まれ変わるという概念などの先進性が、 現在のITのような最新のテクノロジーのように中国や日本で 取り入れられ、特に、日本では神仏習合という形で 同一視されるような状況に変わってきた。

そのあと、禅の話でとにかく迷うこと無いようにというはなしと、 日本で独自に発展した大乗仏教のはなしで法然上人の南無阿弥陀仏とさえ思えば即救われるという話ですね。

魂の存在の傍証に関しては、とりあえずとしては、これで十分かなと思うのですが。 あとは、ものにも魂が宿るかという話は、もうちょっと ベルグソンを読んでからにしたいと思ってるのですが、これがなかなか進まないのもありましてネェ。


【2.経済と地方分権】

2‐1.概論

経済の話は、とりあえずは、年金システムと人口の関係ですよね、あとはポップカルチャーの話もあるんでしょうが、 体系的には、ものづくりの話と、データによる属人性の排除ですね。データベースに細かいデータをすべて入力して、データマイニングとか実験計画法などで開発を進めるようにすると良いのでは?ということから、工場内では、やっぱりボトムアップでしょ、ということも含めて、「誉めてのばす、叱って正す」を合い言葉とするというのがとりあえずのところ。

あとは、真に創造的になるにはやっぱり人間を知らんとダメですよね。という事を話してますね。 その辺は特に論語から、孔子様の言葉を引いてきたりあとは、小林秀雄さんを引いてきたりとか、この辺はちょっと体系づけて考えてはいないですね、 確かに。これも課題でしょうか。

政治体制は、やはり、現在の天皇制を維持した形での 議院内閣制が良いのではないかという話なのですが、 地方分権をどうするのかが課題ですね。この辺は私一人で言っていてももしょうがないところはあります。力不足の部分も多いですし。ただ、たたき台としてまとめることは可能でしょう。

たとえば首都は京都にして、京都と東京は独立した都市とする。あとは、6つだか9つだか11だかの道州に分ける。沖縄はシンガポールを見習って先端科学研究都市にする。国際ハブ空港と国際ハブ港を大阪かもしくは北陸・山陰のどこかににつくる。など。物流を促進するための交通は高速道路ほぼ全線無料化、新新幹線をエコ車両にする、など


あと、国内株式市場に個人投資家を呼び込むために、 全企業をキャラクター化したRPGゲームを販売。などの奇手も浮かびますね。

経済と地方分権に関して、大ざっぱに考えているところを言うと、とりあえずはこんなところです。

2‐2.人口問題と経済成長

人口問題は安定した市場の問題にも関係するということは、すなわちは、投資したお金のリターンが銀行の利子より多くないといけないという現在の会社のあり方、言い換えるならば現代資本主義のあり方からして、人口増加を続けないと市場が飽和して成長を続けられなくなる、逆の言い方をすると、人口が飽和するとこんどは成長が続かなくなる、という問題もあります。

一般に、市場の飽和の方はイノベーションによって解決すると言うことにはなっています。しかしながら、たとえば、ものがあふれている日本においては、工業化におけるイノベーションも限界に近づいているのではないかという気もしいて、この辺もかなり深い考察が必要だと思います。

工業化から、コンテンツ産業化、あるいはサービス産業化ということも考えられますが、この辺はまだ体系的にまとめるのは考えてませんね。



2‐3.需給ギャップ、GDPにおける人口問題と生産性の向上、行政を効率から見た地方分権など各論とその関係

まず、需給ギャップ論の話から入りましょう。

基本的に、銀行や企業への資金注入は景気が良くなったら返済されるのでそう問題ではないと私は考えます。

国の経営も実は企業の経営と似たところがあって、少子高齢化がすすむのなら、現役で働く人が少なくなるのだから現役世代の生産性を上げないと国の経済つまりはGDPはマイナスになるよね、というのは誰が考えても判る話。

つまりは、マクロ的には人口とひとりあたりの生産性のかけ算がGDPな訳ですよね?ということ。

だから、国が借金しようがそれが適正水準だったり緊急時であったりするのはOKだったりすると思うんですよ。いまは緊急時で、国は借金だらけだったりしますが、1400兆円超と言われる国民の資産を考えると未だに適正水準とも言えなくもない。

それに、将来への投資でうまいこと産業が興ればそれはマクロ的には投資が成功したと言うことでしょう?

しかし、緊急時に借金を増やして手当をしてもいずれはかえさないといけないのは自明。それに、投資が常に成功するとは限らないです。この辺は小渕内閣の時のことを考えればわかる話。大盤振る舞いは良かったけど、銀行を手当てしてなくてお金はどこかに消えていった。だから、地方分権しましょう。無駄を出来るだけ少なくしましょう。と言ってるわけですね。

細かい計算をしてるわけではないですが、おおざっぱにはこんな話です。

ま、こういう事を考えると、シミュレーションすれば課税税率の最適値は決まると思うんですけどねぇ。

要するに、国のあり方との経済の関係を見た場合に、私はボトムアップ型シミュレーションを考えようとする主張をしてるわけですね。 生産性と現役人口と、あとは、お金の流通の抵抗値と国や地方自治体の財政の最適値を求めるという考え方。そう考えていくとお金の流量や金利もシミュレーションで最適値が決まるんじゃないですかね?

あ、為替とか貿易の額とか資源価格とか外的要因も確かにありますが、ある程度の幅で予測は出来るでしょう。その辺は政権の思想と状況による選択ということではないですかね。

すくなくても、シミュレーションは、現在の専門家といわれる方々の経験からくる予測よりは当たるはずだし、役に立つと思います。専門家の方の予測ははっきり言って百花繚乱で根拠もまちまちですからね。

あと、指摘しておきたいのは日本は失業率が例えばアメリカの約半分ということです。なぜアメリカは失業率が上がっても日本よりはGDPの下がり方が少ないのかはよく考えてみたらいいんじゃないですかね。つまりは生産性が低いような人をたくさん切ってるということでしょうね。この辺はその国の政府の思想に関係して来ると思います。

2010年1月7日木曜日

精神感応の話(下) (mixi:2009年04月02日)

本居宣長の神様の話からでしたね。

小林秀雄さんの講演などから知ったのですが、本居宣長という人は大変な研究者でいろんな事を勉強して知っていたそうです。

その小林さんの講演では、本居宣長が日本の神様について言ったことは、ごく単純です。むかしは、それぞれの人が、たとえば自分の子供を健やかに育てて下さいとおねがいして それを聞き遂げてくれるような神様だけをそれぞれに信じていたそうです。

つまり、アナキン・スカイウォーカーをダースベーダーに堕としてしまうようなそんな神様は神様と認めてなかった(笑い)

そういう、それぞれの体験に於いて健全であると認めた神様だけをそれぞれのやり方で信じていたというのが、日本の神様への信仰の原型だというのです。

さて、柳田国男さんの「遠野物語」(六一)をここで紹介しておきましょう。私が簡単に現代語風に訳してして紹介しますが、名文なので機会が有れば是非原文で読んで下さい。

『ある狩人が白い鹿と逢った。白鹿は神なりという言い伝えがあり もし、傷つけて殺すことが出来なければ必ず祟りがあるだろうと恐れたが、名誉を重んじる狩人でもあったため世間から何を言われるかということも恐れ、思い切って白い鹿めがけて鉄砲を撃った。 ところが、手応えはあるけれど白い鹿は動かない。このとき大変に胸騒ぎがして、日頃魔除けとして身につけておいた黄金の弾に(魔除けの効果があると言われる)よもぎを巻き付けて撃った。鹿はなお動かない。あまりに怪しく思い近寄って見ると、良く鹿の形に似た白い石であった。

何十年も山の中に暮らしている者が、まさか石と鹿を見誤るはずもなく、全く魔障(魔障:仏教用語で悪魔のようなモノ)のしわだざと、この時ばかりはもう猟を止めようかと思った。』
(改行は私、筆者。以下の引用文も同様))

さて、この文に対する小林さんの言葉を少し引用しましょう。

『少し注意して、猟人の語ることを聞くなら、
伝説に知性の不足しか見ないような眼が、
いかに洞(うつ)ろなものかは、すぐ解るだろう。
この伝説に登場する猟人は、白鹿は神なりという伝説を、
まことか嘘かと、誰の力も借りず、己の行為によって
吟味しているではないか。そして遂に彼は
「全く魔障の仕業なりけり」と確かめる。
「猟を止めばや」と思うほどの、非常な衝撃のうちに確かめる。
(中略)だが、彼は猟を止めない。日常生活の合理性は、
自分の宗教的経験に一向に抵触する所がないという、
当たり前な理由によると見て少しも差支えないでしょう』

で、これから先少々難しい話が出てくるのですが、ようするに、

『遠野の伝説劇に登場するこの人物が柳田さんの心を捕らえたのは、
その生活の中心部が、万人のごとく考えず、全く自分流に信じ、
信じたところに責任を持つと言うところにあった、その事だった
と言ってもいいことになりましょう』

という言葉に収束すると思います。

つまり、彼の個性と感性が、白鹿の神との遭遇に於いて 理性をめいっぱいに働かせ、自分の責任に於いてこれを確かめ 「まったく魔障の仕業なり」と「猟を止めばや」と思うような 衝撃を受けながらも、あいかわらず山の中での日常生活を続けていく。

これは、全く柳田さんが幼い頃の体験と同じくわれわれは、不思議と隣り合わせに暮らしながら、我々の知性と感性を持ってこれを確かめ日常の生活を続けていく。その様なことが健全であると言わずに何というのでしょうか。

このあと、小林さんの話は、以前にも紹介した柳田さんの「妖怪談義」の話をして終わりにしています。

あなたはやはり、オバケのことを考えたときに未だに「にやり」としますか?その「にやり」はどこから来るのでしょうね。やはり「にやり」と笑わせなければ、オバケと言えないのでしょうね(笑い)

精神感応の話(上) (mixi:2009年03月30日)

 
精神感応、ふつうは日本語でもテレバシーともいいますね。

小林さんの「信ずることと知ること」には、このことについてが主題 と言っていいぐらい、精神感応の話が出てきます。

このまえ、この「信ずることと知ること」の元となった講演のCDを 「信ずることと考えること」を聞いて、ずいぶん考えたことがあるので、 少し書いておきます。

しかし、文章にした方の「信ずることと知ること」を主に扱いたいと思います。 やっぱり、小林さんは文章ですからね。

「信ずることと知ること」の始め、戦争で夫が亡くなるときの夢の話が出てきます。それで、この話を話している人は非常にまじめな方なので私はそのことを信じるが、しかし、この手の話はたくさんあって当たるものと全く外れるものがある。どうして、当たるものだけを取り上げないといけないか?と言った医者の話が出てきます。

そこに、若い娘さんがいて、先生の話は論理的には正しいけれど、 私にはどうしても間違ってると思います。と言ったという、 居合わせたベルグソンは、その娘さんが正しいと思ったと言います。

ここから始まります。科学的経験主義は、計量の出来ないような 経験を無視します。という風に展開していきます。 このあたりの話では、ずいぶん小林さんが科学的経験主義の限界というものを 考え抜いていたかというのがよくわかる話です。

ところで、この文章で強調したいのは、精神感応があるかどうかと言うより その様なものを扱うときの科学的経験主義の限界が問題である、と言うことを強調しているのだと私は思っています。

私なりの考えでは、つまり、極端に言えば精神感応などはどうでもいい。そんなものは女の勘とでも呼べばいいものであって、それで何でもかんでも説明しようというのは、また、科学的経験主義と同じように間違っていると思います。

小林さんは、つぎに、民俗学者の柳田国男さんの幼いときの話をします。

それは、柳田さんが、ほこらに奉ってあった、 おばあさんの蝋石を見たときの話です。

幼い頃の柳田さんは病弱で、学校にも行かず、本がたくさんあった近くの家の倉に通って本ばかり読んでいた。いろんな事を知っていたようです。

そんな、あるとき、柳田さんはほこらを開けそこに奉ってあった蝋石を見た。 このとき柳田さんは14歳だった。14歳と言ってもその当時は多分数えだろうから今でいうと12,3歳でしょう。少し長いですが、引用します。

『実に美しい珠を見た。
とその時、不思議な、実に奇妙な感じにおそわれたというのです。
そこにしゃがんでしまって、ふっと空を見上げた。
実に良く晴れた春の空で真っ青な空に数十の星がきらめくのが見えたという。
(中略)
昼間星が見える筈(はず)がないと考えたし、
今頃見える星は自分らの知った星ではのだから、
別に探し回る必要もないとさえ考えた。
けれども、その奇妙な興奮はどうしてもとれない。
その時鵯(ひよどり)が高空で、ぴぃっと鳴いた。
その鵯の声を聞いた時に、はっと我に帰った。
そこで柳田さんはこう言っているのです。
もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂していただろうと思う、と。』
(改行、ふりがなは私、筆者)

小林さんは、講演の時の話でも大変に感動したと強調しています。 柳田さんの学問を支えたのこの感受性であろうと。 その強調ぶりで、私は改めてこの辺りのことを思い出して考えさせられたのです。

このあと、この手の話は別に珍しいことではない、と柳田さんは続けているとあります。このような精神感応の 事例は別に珍しいことではない。将に正夢を見るがごとくです。

さて、柳田さんはおばあさんの魂を確かに見たのであるが、 ぴぃっとヒヨドリが鳴いたから元に戻ったという柳田さんの感受性が学問を支えた。と小林さんと同じように私も考えます。決して、ヒヨドリと精神感応して 現実に戻って来たと言うことはないでしょう。

もちろん、魂を見たということの経験をしっかりと確信し続けたからこそ柳田さんの学問があったというのは 小林さんも強調しています。そこは、科学的経験主義だけでは いけないことを強調したいために強調しすぎるくらいと思いますが、 この両方がないといけない、と私は思いますね。

ところで、この「信ずることと知ること」言葉は比較的平易なのですが、 ずいぶん難解な文章です。このあと、「山の生活」から「遠野物語」 へと続いていき、ふたたび、柳田さんの特異な経験が語られることになるのですが ここでは、話をわかりやすくするために、小林さんが柳田さんの 「遠野物語」(六一)を引用してるのですが、わたしもそこを 少し詳しく話して、上記、不思議な経験をしたのは確かに経験したのであると言う態度と、それでも、我々は常識的な現実社会の中で生きていると言う その両面が大事だという態度を強調したいと思います。

その前に、講演の方で、小林さんが、本居宣長の神様の話を少ししてたのを 思い出したので、それをさせてもらいましょう。((下)につづく)

ベルクソン「物質と記憶」メモ その1+補足概論 (mixi:2009年03月26日)

 
【ベルクソン「物質と記憶」メモ その1】


いま、アンリ・ベルクソンという、フランスのノーベル賞をもらった哲学者で文学者で心理学者でもある人の「物質と記憶」(1895年)という本を読んでいる。

実際読んでいるのはちくま学芸文庫の日本語訳されたもので、訳はずいぶん苦心されていて、軽く読み流すのも十分可能な程なのだが、実際読むとなればずいぶん難しい。

ところで、ベルクソンは脳科学のはしりとも言うべき人でこのころから、脳と記憶についていろいろな考察をされている。このことは、以前にも少し触れたことはあるので、繰り返さないがベルクソンが傍点付きで注意を促しているところでも特に気になるような部分があるので、その前の部分も含めて少し引用してみたい。

まだ、私も考えているので、うまく説明できないところも多いのだが、考えてみるとおもしろいと思うで、みなさんもできれば是非考えてみてください。

テキストとしてはベルクソン「物質と記憶」 ちくま学芸文庫(第2刷)を使っています。以下の引用のページと行はそのテキストのものです。

『実在論と観念論とのあいだに、更におそらくは唯物論と唯心論の間にさえあるような未解決な問題は、したがって、われわれによれば、次のような語彙で提起される。(以下の文章、本文では傍点付き)一方の体系では、各々のイマージュは独自に、周囲の数々のイマージュから現実作用を受けるまさにその一定の役割に応じて変化するのに対して、他方の体系では、すべてのイマージュが、ただ一つのイマージュにたいして、それがこの特権的なイマージュの可能的作用を反映する割合に応じて変化するとして、その場合どうして、同じイマージュがこれら相異なる体系双方に同時に入り込むことができるのか。』

つまり、たとえば、実在論と、観念論という非常にちがった物の間に現実のイマージュというものがあるとして、それが実在論もしくは観念論のどちらにも現実のイマージュが適合できるのか、もう少し詳しく言うと、実在論が物理的な運動を説明するとする。観念論は人によって物事の受け取り方の違いを説明するだろう、としたときにイマージュというのは、それがどうして実在論と観念論の両方に入り込むことができるのか。言い方を帰ればどうしてイマージュは実在論と観念論の両方に適合し、結果として、物やその動きが私たちの心の動きや観念に変わるのか

と書き換えられるかな。

実在論とはようするに、
「だれも見てなくても物って存在するでしょう?」。
という考え方で、一方観念論というのは、
「いやいや、われわれが月を見てなければ月はないのと同じだよ。」。
というような考え方だと思ってください。
(これは唯心論的でほんとは正確じゃないけど)

そのあり方を取り持つのがイマージュというものだとして、どうしてイマージュはその二つを取り持つことができるの?ということ。つまりは、物を認識できるのはなぜ?そもそも根本的な問いとしてわれわれが何となく認識するイマージュって何?
ってこと。

今の脳科学ではたとえば、茂木さんなんかはクオリアといってて茂木さんの言うクオリアは実に曖昧なんだけど、その原型と言うべきイマージュという物を考えるとかえってわかりやすいかもしれないと思い紹介してみました。

でも、結局脳科学云々と100年たって科学がずいぶん進んだようにみえてじつは、この辺のことはちっとも進んでなかったりと、実におもしろかったりしますね、少なくても個人的には。

【補足概論】

基本的に私は小林秀雄さんを師匠だと思って、 まず、小林さんの考えてることを理解しようと もっぱらつとめている。

小林さんは、だいぶベルクソンを読んでいて、 いわゆる心脳問題についてもベルクソンを論じたものがある。 「感想」と題されているものだが、結局は失敗して全集には 小林さんの死後、別巻として掲載されることになった。

前にも言ったが、わざわざ読むなと師匠が言っているモノを 読むはずもないのだが、ベルクソンが何を論じているか については、ある程度体系的に知っておく必要がある。

それに、小林さんがベルクソンにかなりの影響を受けていることは そのほかの著述、講演などに明らかである。

小林さんは、ベルクソン論「感想」の失敗のあと かなりの傷心だった様だが、正宗白鳥の示唆もあり、 その後、「本居宣長」へと続いていく。

つまり、小林さんの「本居宣長」は小林さんなりの 心脳問題の解決なのであるが、これは、問題をうまく 定義して示しただけであって、現実解は後世に任された。

解決方法の一つが、「NewAgeと小林秀雄」で書いた オバケが人をにやりと笑わせる、という、心のことは心で、 と言う解決法なのだ。

しかし、他にも解決法がなければならないのは、 たくさんの人が、心脳問題と言うことを扱っているので判る。人間は、真理を知りたい生き物なのである。

わたしも、「物質と記憶」はまだ、ほとんど読んでなくて、判らないことだらけなのだが、メモを書いたあとの理解が格段に違うので、出来ればこのまま続けさせていただきたいと思う。

New Ageと小林秀雄 (mixi:2009年03月25日)


New Ageと小林秀雄
2009年03月25日


私は、いわゆるニューエイジムーブメントがあまり好きではない。

私は、小林秀雄さんの言うこと中山正和という人の創造工学とかその様な本を読んで、良いと思ったことを紹介する事にしている。

言い方を変えれば、New Ageの人たちと、上記の小林さんや中山さんは少し違うと思っているわけだ。

実は、予備校時代から創造性に関してはずいぶん本を買ったりして勉強した。例えば川喜田二郎氏のKJ法とかにも凝って、 京大カードに日記とかポケコンのプログラムとか書いたモノが今でも手元に残っている。

一方で、ニューエイジの本もずいぶん読んでみたがあまり私を満足させたモノはない。

尊敬するミュージシャンの佐野元春さんもあまり好きではないようだ。 それは、彼の「New Age」と言う曲を聴けばわかるだろう。

わたしは、魂があると思うが、現代科学では説明できない不思議について考え続けているだけである。

小林秀雄さんに「信ずることと知ること」という作品があるが、小林秀雄さんは、民俗学の柳田国男さんの晩年にずいぶん話を聞きにいかれた様子がある。

そのことはなんかの対談でいっていた記憶があるのだが、 もとは、柳田国男さんの「故郷70年」という本を読んで大変感動された所から始まっていた、と思う。

ま、その辺については未だに考えてることがあるのでそのうちに書くこともあるだろうが、「信ずることと知ること」では 柳田国男さんの「妖怪談義」を少々紹介して終わっている。

少し引用してみよう。
『歴史家に限らない。今日の一般の人々にお化けの話をまじめに訊ねても
まじめな答えは決して返ってこない。にやりと笑われるだけだ。
と柳田さんは書いているが、これは大変鋭敏な表現でして、
この笑いは、お化けの話に対して、現代人が取っている曖昧な態度
と言うよりも不真面目な態度を、端的に表していると、
柳田さんは見ているのです。』
(改行は筆者)

ここからあとの小林さんの調子は大変激しいものがあるので 是非一度読んでいただきたいのだが、ようするに、『にやりと笑わせるようなものがなければお化けとは言えまい。』 という言葉に集約されるようである。

このことは大変難しいことで、文中でもこのような柳田国男さんの言葉を引いている。
『「我々はオバケはどうでも居ると思った人が、昔は大いに有り
 今でも少しはある理由が、判らないので困っているだけである」』
昔から柳田国男さんという碩学もこのようなことに悩んでいた。 わたしは、このようなことを引き継いで考えている、というだけなのだ。

日本における死後のお話 (mixi:2009年03月07日)


日本における死後のお話
2009年03月07日

神道は特に理論化された教義がないのが教義のようなもので、死んだあと魂がどこへ行くとは特に決められていなく、神話に於いて、国産みの最後に火の神様をお生みになられ それが原因でイザナミの命(みこと)がなくなって、夫のイザナキの命が黄泉に会いに行かれる。ということあたりに書いてあって、日本神話では神様も亡くなり、黄泉に行くことになっている。

しかしながら、人間が死んだあとはどこに行くかは定義されておらず、神様と同じように黄泉に行くと考えられてるのが一般的ではあろうが、他に、私の知ってる範囲ではしばらく山の麓に漂ってから山の頂上へ行くというのは読んだことがある。

あるいは、ヤマトタケル尊の場合は亡くなられた後、白鳥となって飛んで行かれた、と伝説にはある。実際、鳥となって飛んでいく、ということも信じられていたようである。

神社に行けば、かならず鳥居があるが、あれは、神様も、鳥のように天から降りてこられて、鳥居に止まられる。ということから、鳥居というのはあの形状だし、それで、名前も鳥居ということなのだろう。

一方で、そもそも、神道においては死とはケガレであるから、死後の魂をあまり扱わないということもある。例えば、源氏物語でも源氏が死んだかどうかよくわからず、雲隠れされたということになっている。 (巻名のみが伝わっていて、文はない)


日本に影響を与えた仏教にしても儒教にしても、 お釈迦様は、 矢が刺さっているときに、なぜ矢は刺さってるのだろう、 と考える前に、矢を抜くことを考えなさい、 というたとえ話で、 死後のことを考えるより現在生きている間の苦しみのことを中心に考えなさい、と仰っているし、 孔子様も弟子に死後のことを聞かれたときに、
「未だ生を知らず。いずくんぞ死をや」
と、しびれるようなことをを仰っている。

つまり、少なくとも古来から日本に非常に大きな影響を与えた外国の思想家は、あまり死後の世界のことを語っていない。

しかし、まあ、仏教というのはおもしろいもので、 悟るということは、輪廻転生からは外れるが、 仏様は衆生を救うためにわざわざ何回もこの世に生まれ変わられる、 という考えがある。

従って、仏教は、お釈迦様が亡くなっても発展し続けて死後の世界のことも少しずつ扱うようになり、 日本では、仏教が伝わってからは、仏教で死者をを弔い、先祖を祀るというのが、もっとも一般的であるだろう。

背景として、中国や日本に伝わった仏教というのは、そのころ、まだ精神世界が現実と区別されずにいた頃、平安京には百鬼夜行とか、妖怪奇異がまったく生き生きとして存在していた頃に伝わった教えというか宗教なので、ちょうど、現代のIT革命と同じような革命的テクノロジーとして伝わってきてると考えるとわかりやすいだろう。こういうことをを覚えておくと、多少、歴史も楽しくなるかもしれない。

さて、時代が下って、平安末期になると末法思想が流行る。 末法思想とは、お釈迦様が亡くなってから、千五百年経つとお釈迦様の教えが次第次第に薄れていき乱れた世の中になる、 という考え方で、阿弥陀如来(ちなみに如来というのは仏の別名) におすがりして、極楽浄土へ連れて行ってもらおう、という考え方。

さらに、鎌倉時代に入ると、禅も伝わり、支配階級である武士階級で流行する。これは、禅は分類は難しいが、上座部仏教に分類される、自力で救われるという考え方に入ても良いだろうと思う。 アニメ一休さんに出てくる、新右衛門さんという人は実は実在してるというのは有名だが、 かなりの禅を極めた方で、こういう話が伝わっている。

新右衛門さんが、もう亡くなる寸前。七色の雲に乗り、仏様が 迎えに来た。ところが、新右衛門さんは、むっくと起き上がり、 刀を取り出し、仏様を切った。

この新右衛門さんのように、禅を極めると、自力は徹底する、というお話。

さて、一方で、同時期に大乗仏教も伝わり、日本流に発展する。 この鎌倉時代、一遍上人の踊り念仏というのも大流行したと記録があるのだが、いっさい文章を残さなかったため、廃れてしまった現代ではどのようなものか分からない。なかでも現在まで伝わってる教えで、一番核心的な教えは法然上人の 浄土宗の教えで、仏の慈悲は広大無辺なので、一般人は 念仏を唱えればそれで救われる、いや、救われたいと思えば 思った瞬間救われている。という考え方。
(この辺りの参考資料としてWikipedia: http://ja.wikipedia.org/wiki/法然 )

だから、安心して死んで良いよ。
「救ってください、 南無阿弥陀仏」
(阿弥陀様を絶対的に信じますという意味で、 ナムというのは絶対信仰の意味)
と、念仏を唱えればその瞬間救われて、阿弥陀様が極楽浄土へ連れてって下さるよ。 と言うことですね。

そのあと、親鸞上人が世に出て浄土真宗の教えを確立されるのですが、 これは、一般人には大変難解な教えで、まともに理解してる人には会った試しがありません。なので、普通の人は、法然上人の 教えあたりを理解していれば、それで十分です。 核になる教えは一緒ですから。

たとえば、もっとも誤解されやすい悪人正機説は、この世にはこの世の法があり、 あの世にはあの世の法がある、 と言う、もっとも基本的な理念を理解していない人が今の世には多すぎると思います。勝手に解釈して、尻をたたかないとまともに仕事しない、 どっかの寺の坊主みたいにみんながなったら困りますしね。