ベルクソンの「物質と記憶」を中心に、心脳問題について、過去にmixiで書いた文章を推敲し直して載せています。

テキストは、アンリ・ベルクソンの「物質と記憶」第2刷(ちくま文芸文庫版、合田 正人、松本 力訳)を使っています。『ベルクソン「物質と記憶」メモ』と記事のタイトルにあるものの引用文のページと行はこのテキストのものです。


2010年1月9日土曜日

あ、そうか、体系的にということですね。(mixi:2009年04月24日)

(筆者注:このころmixiの日記でたくさんのこと考えていたので、その辺のことを少し体系的にまとめてみようとした日記の内容を推敲してみたものです)

【1.唯物論の否定と魂の存在の傍証】

1ー1. 唯物論の否定

まず、初めは、唯物論の否定と、魂の存在の傍証ということになりますか。

唯物論の否定は、科学が再現性を重んじて数学で法則を書くことと、数学が不完全であるというゲーデルの不完全性定理をから導き出せますよね。
(資料:http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲーデルの不完全性定理)

もうすこし詳しく言うと、自己言及パラドックスが自然数を含む公理系で成立すると言うことは、その公理系自体が正しいかどうかを自身の公理系では証明できない。

そのような公理系を使って再現性を証明するのが科学である限りは、論理的に矛盾することを平気で受け入れる我々の言語とか魂とか言うことを説明できない、言い方を変えると、ゲーデルの不完全性定理が矛盾と言うことを理解できるわれわれの精神は、なにか、整数論の矛盾を理解できる体系で表現されている、というのは自明でしょう。

もう少し、わかりやすく言った方が良いのかな。

つまり、科学が自己矛盾が指摘されている整数論を内包する数学で書かれているならば、その矛盾自体は、その数学では指摘できない。しかし、われわれの精神はその矛盾を指摘し、かつ、理解できるのであるから、明らかに違う体系で記述されているだろう。と言うことは、科学ではわれわれの精神は説明できない。と言うことになる。

(筆者注:この文章を推敲中の現在(2010年1月9日)P=NP?問題を勉強しているが、P=NP?問題は、非常にわかりやすく言うと、物事を逐次的に処理していく現在の方式のコンピューターに、意味があるかどうか分からない適当な文章らしき一連の音や文字を与えたとして、それがある程度人間にも耐えられる一定時間内に意味があるかどうか判定できるかという問題を扱う。文章の意味が矛盾しているかどうかは問われない(カバは植物である。と言う文章はわれわれの常識では間違っているけど、文章は理解できるでしょ?))


1‐2. 魂の存在の傍証

この辺の話は、「日本における死後のお話」がそのまとめに相当するでしょう。

要約すると、お釈迦様と孔子様の生きることの延長に死(もしくははっきりとは言わないが死後の世界がある)があるとおっしゃっている、ということでしょうか。そこから、仏教の輪廻転生の話に入って、悟ると輪廻転生からはずれるが仏様になると衆生を救うために なんども生まれ変わるという概念などの先進性が、 現在のITのような最新のテクノロジーのように中国や日本で 取り入れられ、特に、日本では神仏習合という形で 同一視されるような状況に変わってきた。

そのあと、禅の話でとにかく迷うこと無いようにというはなしと、 日本で独自に発展した大乗仏教のはなしで法然上人の南無阿弥陀仏とさえ思えば即救われるという話ですね。

魂の存在の傍証に関しては、とりあえずとしては、これで十分かなと思うのですが。 あとは、ものにも魂が宿るかという話は、もうちょっと ベルグソンを読んでからにしたいと思ってるのですが、これがなかなか進まないのもありましてネェ。


【2.経済と地方分権】

2‐1.概論

経済の話は、とりあえずは、年金システムと人口の関係ですよね、あとはポップカルチャーの話もあるんでしょうが、 体系的には、ものづくりの話と、データによる属人性の排除ですね。データベースに細かいデータをすべて入力して、データマイニングとか実験計画法などで開発を進めるようにすると良いのでは?ということから、工場内では、やっぱりボトムアップでしょ、ということも含めて、「誉めてのばす、叱って正す」を合い言葉とするというのがとりあえずのところ。

あとは、真に創造的になるにはやっぱり人間を知らんとダメですよね。という事を話してますね。 その辺は特に論語から、孔子様の言葉を引いてきたりあとは、小林秀雄さんを引いてきたりとか、この辺はちょっと体系づけて考えてはいないですね、 確かに。これも課題でしょうか。

政治体制は、やはり、現在の天皇制を維持した形での 議院内閣制が良いのではないかという話なのですが、 地方分権をどうするのかが課題ですね。この辺は私一人で言っていてももしょうがないところはあります。力不足の部分も多いですし。ただ、たたき台としてまとめることは可能でしょう。

たとえば首都は京都にして、京都と東京は独立した都市とする。あとは、6つだか9つだか11だかの道州に分ける。沖縄はシンガポールを見習って先端科学研究都市にする。国際ハブ空港と国際ハブ港を大阪かもしくは北陸・山陰のどこかににつくる。など。物流を促進するための交通は高速道路ほぼ全線無料化、新新幹線をエコ車両にする、など


あと、国内株式市場に個人投資家を呼び込むために、 全企業をキャラクター化したRPGゲームを販売。などの奇手も浮かびますね。

経済と地方分権に関して、大ざっぱに考えているところを言うと、とりあえずはこんなところです。

2‐2.人口問題と経済成長

人口問題は安定した市場の問題にも関係するということは、すなわちは、投資したお金のリターンが銀行の利子より多くないといけないという現在の会社のあり方、言い換えるならば現代資本主義のあり方からして、人口増加を続けないと市場が飽和して成長を続けられなくなる、逆の言い方をすると、人口が飽和するとこんどは成長が続かなくなる、という問題もあります。

一般に、市場の飽和の方はイノベーションによって解決すると言うことにはなっています。しかしながら、たとえば、ものがあふれている日本においては、工業化におけるイノベーションも限界に近づいているのではないかという気もしいて、この辺もかなり深い考察が必要だと思います。

工業化から、コンテンツ産業化、あるいはサービス産業化ということも考えられますが、この辺はまだ体系的にまとめるのは考えてませんね。



2‐3.需給ギャップ、GDPにおける人口問題と生産性の向上、行政を効率から見た地方分権など各論とその関係

まず、需給ギャップ論の話から入りましょう。

基本的に、銀行や企業への資金注入は景気が良くなったら返済されるのでそう問題ではないと私は考えます。

国の経営も実は企業の経営と似たところがあって、少子高齢化がすすむのなら、現役で働く人が少なくなるのだから現役世代の生産性を上げないと国の経済つまりはGDPはマイナスになるよね、というのは誰が考えても判る話。

つまりは、マクロ的には人口とひとりあたりの生産性のかけ算がGDPな訳ですよね?ということ。

だから、国が借金しようがそれが適正水準だったり緊急時であったりするのはOKだったりすると思うんですよ。いまは緊急時で、国は借金だらけだったりしますが、1400兆円超と言われる国民の資産を考えると未だに適正水準とも言えなくもない。

それに、将来への投資でうまいこと産業が興ればそれはマクロ的には投資が成功したと言うことでしょう?

しかし、緊急時に借金を増やして手当をしてもいずれはかえさないといけないのは自明。それに、投資が常に成功するとは限らないです。この辺は小渕内閣の時のことを考えればわかる話。大盤振る舞いは良かったけど、銀行を手当てしてなくてお金はどこかに消えていった。だから、地方分権しましょう。無駄を出来るだけ少なくしましょう。と言ってるわけですね。

細かい計算をしてるわけではないですが、おおざっぱにはこんな話です。

ま、こういう事を考えると、シミュレーションすれば課税税率の最適値は決まると思うんですけどねぇ。

要するに、国のあり方との経済の関係を見た場合に、私はボトムアップ型シミュレーションを考えようとする主張をしてるわけですね。 生産性と現役人口と、あとは、お金の流通の抵抗値と国や地方自治体の財政の最適値を求めるという考え方。そう考えていくとお金の流量や金利もシミュレーションで最適値が決まるんじゃないですかね?

あ、為替とか貿易の額とか資源価格とか外的要因も確かにありますが、ある程度の幅で予測は出来るでしょう。その辺は政権の思想と状況による選択ということではないですかね。

すくなくても、シミュレーションは、現在の専門家といわれる方々の経験からくる予測よりは当たるはずだし、役に立つと思います。専門家の方の予測ははっきり言って百花繚乱で根拠もまちまちですからね。

あと、指摘しておきたいのは日本は失業率が例えばアメリカの約半分ということです。なぜアメリカは失業率が上がっても日本よりはGDPの下がり方が少ないのかはよく考えてみたらいいんじゃないですかね。つまりは生産性が低いような人をたくさん切ってるということでしょうね。この辺はその国の政府の思想に関係して来ると思います。

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